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武士は喰わねど高楊枝

気位ばかり高くても仕方ないが、貧乏であっても品性は良くありたい。自分の子供にもそうあって欲しいと願う。

武士は喰わねど高楊枝

家族に対してこのような事が言い難い現代だが、わが子の心の片隅に残って欲しい言葉である。が、平成の子育てはわけのわからない子供の主義主張、権利を認める風潮から学校教育に期待できない為、家庭のあり方問われる時代であり、気の抜けない大変難しい子育て時代と思える。雷親父もお節介ばあさんもいないのである。

最近では、戦争経験世代でもマンションに住む事で近所付き合いの煩わしさを回避しているらしい。自らが学んだ事を次の世代に伝えられない方々である。こうして身近な文化は滅び観光名所だけが日本文化として残るのであろう。この流れを否定はしない。

友人に不倫している輩がいる。相手の女性は20近く離れている。もちろん年下だ。年上ではない。否定はしないが、心奪われてはいけない。遊びは所詮遊び。火傷するのは自分だけがよい。しかし、相手の女性もそのように思っているかというとそうでもない。遊びであることを信じないどころか期待を膨らましている事もある。説明責任は大事であり、その先には製造者責任もあるのだ。揶揄した表現ですまない。
そしてこのような関係の多くには、相思相愛は存在しない。理想形は愛も存在しない事だ。現実は成り立たないで終わる事が理想であるはず。武士にあるまじき行為である。そして武士なんてもういないのである。