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走り続けろ

先日、息子を乗せ我が愛しきファンキー丸で淡路島岩屋沖まで船を出した。
これまで何度も船に乗せ釣行しているが、釣りには熱心ではなかった。自分では釣りが好きと言うが、釣れないとつまらなくなり釣りを止めキャビンで寝たり、他の人の邪魔をしたり釣り以外の事をしだす。
しかし、釣りというのは釣れない時こそ面白い。確かに釣れない釣りは面白くない。矛盾しているが、釣れないと面白くないからこそ、あれこれ考える。その考える部分が釣りの醍醐味であり、相手が生き物であり自然である事の楽しい部分なのである。

中国の古い諺に

一日幸せになりたければ酒を飲みなさい 
三日幸せになりたければ結婚しなさい
七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい
一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい

というのがある。似たようなものがイギリスにもある。釣りというゲームは誰にでも手軽に出来て奥が深い。初心者にやさしく、熟練者には難問を出題する。そういう意味では写真に似ている。しかし、大きく違うのは、釣りが命を懸けた戦いであること。命を懸けるのは魚だけなんだけどね。

魚を釣るには、まず魚を知ることから始まる。その魚が夜行性なのか肉食なのか雑食なのか?何を食べるのか?産卵時期はいつで好む水温は?
次に魚の住む海の状況を調べる。大潮か小潮か?満潮の時間と干潮の時間。明石海峡であれば、潮が東流なのか西流なのか?転流の時間は?
これらのデータを自らのデータとして蓄え釣行日の状況を調べ、どの時間帯にどこに行けば良いかを調べる。
魚の種類により、潮が動いている方が釣れる魚と止まっている時の方が釣れる魚は異なる。その日のターゲットに合わせて釣行計画を練る。そして魚の行動を予測する。
例えば、ストラクチャーに対して頭を向けるのか尻尾を向けるのか?活性が高く食い気のある魚はストラクチャーに尻尾を向けるし、食い気の無い魚は隠れたがるのでストラクチャーに頭を向ける。それにより、同じポイントでもストラクチャーに対してルアーを落とす場所が異なってくる。
天候も関わってくる。魚の目は基本モノクロと言われているが、晴れた時と曇りの日、水が澄んでいる日と濁っている日ではルアーの色を換える。

釣れない時は、これらの条件がなにか足りないのだ。食欲がなければ、本能に訴える。とにかくあの手この手で食わせようとする。これが釣りの醍醐味なのだ。
だから釣れない釣りこそ知識やデータが活躍し、様々な憶測や考察に基づき手を変え品を変えチャレンジする。そして誰も釣れていない時に釣れる喜びは何物にも変え難い。

そんな釣りの楽しさを息子にも知って欲しい。釣れる時ばかりが楽しい釣りではない。ストイックに考え抜く釣れない時に釣る釣りの楽しさを知って欲しい。そんな一念で今回は息子に餌を与えた。

小潮の難しい条件の日だったので、自分の力で魚を釣ったらおまえの欲しがっているスーパーマリオギャラクシー2(ゲームね)を買ってやる。これで釣れなくてもどこまで熱心に釣りをするか息子を試した。
この日は本当に難しく昼過ぎに大人が音を上げる状況の中、息子は諦めずに釣りを続けた。6歳の体で50mの深さに仕掛けを落とし粘り続けた。がしかし、予定の時間がきた。StopFishing。
あと10分で帰るからと言っても諦めない、そして帰る時間になっても止めようとしない。そんなにスーパーマリオギャラクシー2が欲しいのか?餌は素晴らしい働きをした。そして息子も素晴らしい粘りを見せた。

帰りの船の中、運転する僕の斜め後ろで手摺を持ちながら息子は泣き続けた。釣れなかった悔しさか、スーパーマリオギャラクシー2が買ってもらえない事への悲しさか・・・・息子は泣き続けた。
しかし、僕は息子にスーパーマリオギャラクシー2を買ってやった。息子の粘りに潜在能力を感じたしこの粘りと努力に酬いたかった。

帰ってこの話を妻に話すと「あまい」と言われた。まぁ、いいさ。これは息子と僕の男のカンケイなのだ。女には判るまい。

以前、保険か何かのTVCMで少年サッカーをする息子に「走れ!走れ!!走れ」と叫ぶ父親。そしてプロサッカー選手になった息子に子供の頃と同じように「走れ!走れ!!止まるな!走れ!」と叫ぶ父親のシーンがあった。バックにはショパンの「別れの曲」が流れていた。こんな父親でありたいと思った。ずっと息子を叱咤激励したい。そして僕の声がでなくなった時、息子は社会で立派になっているのが理想なんだ。