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叔母の年末

夏に右膝を手術した叔母。11月下旬に左膝の手術をする為病院に前日入院したところ、右足の親指に大きな穴が開いていることが判明。糖尿の為にあまり痛みを感じない事と自身の足の裏を見れない為、看護婦さんが靴下交換するまで誰も気づきませんでした。急遽親指の手術をする事になり、左膝の手術は延期されました。
しかし、これは序章であり叔母には年末にかけて怒涛の災難が続く事になります。

親指の手術を無事終えその後の経過も順調だった12月の上旬頃、三宮の整形外科に向かう最中に叔母が息がしんどいと言って立ち止まった。ゆっくり歩いて診察を終えた後もしんどいと言い続けるので、毎回通院後に行く楽しみの食事も止め帰宅しました。その日から叔母が呂律が不安定になり、ボケてきたんじゃないかと思い心療内科への通院も必要かもと思案していたところ叔母の妹から早朝に電話。どうもボケが酷くわけのわからない事を言ってるから電話で話してあげてと言う。電話口では「あーあー」しか聞けず、早々に電話を切って叔母宅へ向うと電話ではわけわからん事を言っていた叔母が美味しそうに朝食を食べている。電話で話したことは全く覚えておらず、躁鬱の変化なのかと勝手な想像でその日は帰りました。ところが、翌朝また同じ電話があり急いで叔母宅へ。意識が無い。どんなに大きな声で呼びかけても、肩を揺すっても起きない。もう一人の叔母に救急車を呼ぶように言ったが、近くの内科の主治医を呼ぶという。電話から10分くらいで主治医の先生が到着したが、すぐに救急車を呼び神鋼病院へ搬送しました。
原因は低血糖で糖尿の薬を強くした事が影響した様です。ブドウ糖を点滴してもらいすぐに意識も回復しました。本当にもう駄目かと覚悟したのですが、本当に良かったと安堵して胸を撫で下ろしたのも束の間、その週末の夕方に叔父から電話があり、叔母さんの足の付け根に大きなオデキができていると言う。翌朝叔母宅へ行き、叔母の様子を伺ったが、痛がる様子もなく急ぐ必要もなさそうと思ったが念のためにある病院に電話をしてみたところ、急ぐ必要がなければ明日は通常診察を行っているので明日来て下さいとの事。
翌日、叔母を連れて病院へ行き外科で診察を受けたところ即手術との事。昼過ぎまで検査を行いそのまま手術になりました。原因は脱腸から腸閉塞を起こしており、壊疽した腸を切り取りつなぎ合わせ膨らんだ部分を切除する手術を行いました。
手術は無事終えましたが、しばらく入院となり退院は年明けになるようです。
83歳の叔母にはあまりに辛い年末になりましたが、命拾いをしたと思えばまだまだ叔母には運があると感じました。
蒲鉾屋の手伝いはうちの社員に任せて僕は叔母の傍にいるようにしていますが、忙しない師走もあと少し。既に体調を崩し微熱状態ですマスクをして年末年始を乗り切ります。

うりゃー!気合だ!